余命20日間だった彼女。
あれから、どうだろうか2ヶ月が経とうとしている。
彼女は驚くほど痩せてしまった。
身体は痩せてしまったけど、足の裏の肉厚は不思議と分厚い。
足の裏の肉厚だけは、元気な所と未だ変わらない。
私みたいな、ただの足もみ好きには、この肉厚が変わらないことが希望だとも思う。
こうして押すと、赤く温かくなる。
これが足は第2の心臓と呼ばれるのかもしれない。
確かに。分厚くて当たり前だろうと思う。
臓器は寝たきりでも動いている。
肝臓にも、胃にも癌があっても、癌と共に臓器は動いている。
筋肉と呼ばれる所だけが力がなくなっていくのかと、、、足を見て思う。
癌で人は死なないのかもしれない。
癌によって、人が生きる源である「食べること」「寝ること」「動くこと」を失われ死に至るのかと思う。
ということはきっかけは、癌なのかもしれない。
癌という言葉で、身体の力が抜け、体力、気力がなくなり、
食べる元気をなくし、
不安になり、眠ることができなくなり、
身体がしんどくなり動けなくなる。
寝たきりになってしまう。
結局は、こうして書いていても「癌」じゃん。って言いたくなる。
元は癌であるのだろうが、人としても生きる源がなくなることで死ぬのだともあえて言いたい。
(繰り返し書きたい)癌で死ぬのではなく、食べること、寝ること、歩くことができなくなって死ぬと言いたい。
彼女は、力がなくなり自分でもめなくなった。
この病気との闘いに
「思っている以上に身体が過酷だと」私に言った。
身体の痛みに戦いながらも、私の顔を見て
「足ももんでくれるの?」と言ってくれたのは1週間前。
やっと私は彼女の足もみをした。
身体が痛いのに、また私の足もみの痛さにも耐える彼女の
「できることはやりきる」力。
私は応えたかった。
彼女の足の裏は、驚くほど固かった。
さすがに身体に打っている鎮痛剤は、足もみの痛さに全くきかなかった。
この薬が、足もみの痛さまでもとってくれたらと、私は望んでいたけど。
全部力づくでも、足の裏の堅さはとりたかった。
痛さのあまり、声も出せなかった彼女だけど、ジュースまで自分の口で飲んでくれた。
話しもして私を見送ってくれた。
手の力がなくなるまで自分でやってくれた。
そして、私に「足をもんで」と自分で決めてくれた。
嬉しかった。
私を見送ってくれた姿が。
あれから今日、彼女が私に
「愛ちゃん。足もみ少しお休みするね」
彼女に足もみをまた好きにさせてもらった。
彼女は
治るということが病気になって一番望むこと。
でも、足もみの役割は、
病気になって、入院して自分でできること。やれること。
そして、
最後の時間まで努力する。これが人間だと思う。
努力したと実感できたのが足もみかな。と笑ってくれた。